森村商事株式会社

歴史コラム:森村豊の渡米③

森村豊の渡米③  「日の出商会」の一角からのスタート

イーストマン・カレッジ卒業後の豊は、佐藤百太郎とパートナーシップを組んで、日本の輸入雑貨を販売する「日の出商会」(Japanese Hinode Store)を設立しました。この時豊は1,500ドルを出資しました。

ニューヨークマンハッタンの1877年版の住所録では、 “Japanese Goods. Sato Momotaro, 97 Front〔フロントストリート97番地〕” という記述が確認できます1。豊の事業は、この「日の出商会」の一角からスタートしたのです。ここで豊は、市左衛門が日本各地を奔走して仕入れた美術工芸品や骨董品を販売しました。また、1876年にアメリカ初の万国博覧会として開催されたフィラデルフィア万博での日本品の残品も販売したようです2。

図1 森村豊と新井領一郎(1886年1月1日、ニューヨークにて撮影)

出典)森村勇編『おもかげ集』(森村商事株式会社所蔵)
注)左が新井領一郎、右が森村豊

しばらくして、豊は佐藤百太郎とのパートナーシップの解消を考えるようになります。その原因は、佐藤が1877年に多額の借金を負ったこと、また共同経営では意のままに日本に売り上げを送金出来ないと考えたことが挙げられます4。 そして1878年、豊は、ニューヨーク州法に基づく現地法人として「モリムラ・ブラザーズ」を設立しました。先に触れた住所録の1878年版では、フロントストリートから移転していた “Sato Momotaro & Co. 38 Fulton” とは別に、 “Morimura Brothers & Co. 238 Sixth av.” という記述が確認できます5。この立地は、ニューヨークの小売業の中心地であった14丁目に近接しており、上流顧客が馬車を店頭につないで買い物をするというような光景がよく見られる場所でありました6。

そして独立して1年が経った1879年の売り上げは5万ドル、1881年の売り上げは10万ドルと、豊のニューヨークでのビジネスは順調な滑り出しを見せたのです。その後、紆余曲折を経て、陶磁器販売に特化し、20世紀に入るとノリタケ・ディナーセットを主力として飛躍的に事業を発展させます。豊は1899年に46歳の若さで亡くなってしまいますが、その異国の地での努力は、村井保固を始め、多くの日米社員に受け継がれ、モリムラ・ブラザーズは日米貿易関係の構築に大きく貢献しました。

今給黎佳菜(博士、お茶の水女子大学修了)

page top